常陸太田市美術協会

常北美術協会の足跡

おいたち(概略)

 戦前との地に疎開していた「榎戸庄衛(洋画)」氏の提唱により、「鵬下晃湖(日本画)」「五藤耕畝(日本画)」「藤岡紫峰(日本画)」等の画家と小中高学校の美術教師と写真愛好者が中心になり美協を立ち上げた。上記以外の関係者として「関口信(太田一高教師)」「羽部春房(中学校教師)」「塩原慶一郎」「川又省三」「小島勘助」「小松崎年見」「塙信雄」「石井正倫(洋画)」「富永?(洋画)」などの人々。
 第一回展の開催は、昭和23年5月(15日)の常陸太田の八幡宮祭礼に合せて町役場会議室を会場として行った。以後、年一回5月に開催。美協の運営資金の一部として、展覧会入場料2円(免税)を4〜5年とっていた。
 昭和24年の展覧会において新会員の推挙があって、「和田直(大田二高教師)」「井坂信義(小学校教師)」「大内康照(中学校教師)」「鈴木晃美(小学校教師)」以上洋画「鈴木素峰(洋画)」「野辺?」の各氏が会員となった。

展覧会開催場の足跡

 初回から数年間は、町役場会議室。展示できる設備がないので 加藤建具店主(中城町)の協カによって柱や抜板を用いて展示設備品を作成され、太田一高からはセピア色の幕を借用して会場を作成。
 この期間中には、新たな会員が推挙され、洋画部「岡部栄」「佐々木弘明」「山本満男」「中鳥省三」「沼田久雪」、写真部「川崎茂」「鈴裏守」「皆川公男」「根本通胤」「高野昇」「武田浩」「瀬谷金雄」など、他「加藤忠義」「青木健暢」「木村正昭」「富岡健次郎」「石川和子」などが参加した。これまでは、塩原氏宅に保管されている展示用の資材を搬送して会場を作成した。
 会場は、会議室から「太田京成(元志満津百貨店)」のニ階に移る。会買メンバーは変更なし。この会場で数年間開催し、展示用パネルを太田市交流センターでの備品を借用する。川崎氏の車で搬送、会員の手で会場作成と跡片付けをする。
次に会場を、市交流センター大会議室へ移し、同時に同センター小ホールにて会員展を開いた。この時期に新たな会員が推挙された。絵画部「宇野彰」「田面木宣夫」「羽石雅也」写真部「佐藤一巳」「小飯田博」など。
 常北美術展は、市以外からも応募者があり遠くは「日立市」「ひたちなか市」「那珂町」 は勿論、遠くは「霞ヶ浦市」などからの応募があって一時は多くの作品が出品された。
 しかし時世の波は、この公募展にも押し寄せ次第に出品者の数が減り、又、会員の脱会者と会員の病死により展覧会は小規模化し、引き続いての開催が危ぶまれてきたので、会員による会合を開き今後のこと綿密に話し合いその結果、平成16年度の公募展第56回展(56年間)をもって公募展の終息。会員展は17年度で終止符を打つことに決する。
 平成18年7月をもって、常北美術協会の活動はすべてを止めて解散とする。

 初回展より平成18年度までで、故入となられた方々が数名あり、美協の立ち上げに尽カされた「擾戸・鵬下・藤岡・五鳥・関口・和田・塩原・小島・川又・小松崎・石井・塙」の各氏、近年になって「木村・井坂・岡部・高野」各氏が逝去された。
 常北美術協会主催の展覧会は、昭和23年5月が始まりで、県内で唯一「茨城県知事賞」が頂けた協会。又、地方の文化向上と発展に寄等し更に永年実施してきた功績により茨城県より「ばら賞」などを授ける。又、財回法人いばらき文化振興財団より文化活動事業費助成金として(65000円)を平成12年度に支給された。
 常北美術協会が平成18年度で幕を引くことになった要因は、前段に記した事の他に常陸太田市が里美村・水府村・金砂郷町との合併をし、その契機に新たな美術協会を立ち上げて美術のみならず文化を広く発展させることが美術に携わる者の使命であると常美協の面々が一致した考えにより「常陸太田市美術協会」が平成17年度に設立し第一回展が交流センター大会議室を会場として開催された。

※追記
常美協の設立提唱者は、榎戸庄守氏。設立賛同者に、藤岡氏・鴨下氏・五島氏が大きく寄与する。そこで名称を「常北美術協会」とする。
会則を定め、会長は置かず、会計幹事がその代行をするとした。(当分塩原氏)展覧会は、毎年5月(八幡宮祭礼に合わせる)開催とする。
初回展には、鴨下氏は出品せず、2回展より出品。
展覧会入場料として2円を徴収した事、各小中学校を訪ね美協の運営資金を調達したこと等は常美協として特筆すべき事項。

常北美術協会の発展的解散会は、平成18年7月7日(金曜日)をもってすべての幕を降ろす(於いて、釜平にて)

平成18年7月 中島

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